アラフィフナース♥️はな子の部屋

アラフィフでナース復活、3人息子の母の日々の奮闘日記

高校1年生 はっちゃん その1

昔、小児病棟にいた♥️はな子です

 

今頃、元気にしていたらおじさんになっている、はっちゃんの話をしたいと思います。

 

はっちゃんとの出会いは、彼が中学2年生だったかなぁ。

白血病と闘っている最中でした。

 

当時、同じ年頃の同じような小児がんの男子たちが何人かいました。

私は彼らの使いっぱのような看護師だったなぁ😂

 

20時消灯なのに、眠れないからと一緒に将棋、チェス(私は全くわからないので、本で調べながら対決)や、新刊のジャンプがあるからと誘われ、一緒にこそこそ読んだり。

その度に先輩看護師から、あなたが消灯時間を守るように❗と注意を受けてました😋

またある日は

大部屋をライブ会場のように、

ミスチルやゆず、ユニコーンなど、それぞれが好きだった歌を熱唱したり、踊ったり😁

もちろんつらい治療、検査もあります。

抗がん剤の治療では、

「点滴ボトルに絵を書いて❗」と言われ、

得意なサザエさんドラえもんなど書いては、

「ただでさえ気持ち悪くなるのに、こんな絵をみたら、余計に気持ち悪くなる❗」

と怒られました(絵が下手なのを知っててあえて頼まれる→一番難しかったのはガンダム😑)

検査では、痛みも伴うため、頑なに嫌がる彼らに何時間も説得したこともありました。

もっともっと、いろいろありましたが、

そんな毎日を彼らは過ごしていました。

 

はっちゃんは一度寛解白血病細胞が消えた状態)となり、退院しましたが、

すぐに再発がわかり、また戻ってきました。

中学3年生の秋だったかなぁ。

とても、身体がしんどそうでした。

私が準夜勤のとき(当時3交替でした)ナースコールが鳴り、

仕事が落ち着いたら話がしたいと言われました。

その日は忙しく、遅くなるよ、と話したらどうせ眠れないからとおしゃべりしに来て、と言われました。

午前2時、はっちゃんの部屋をのぞくと起きて待っていてくれました。

 

 

 

これは、私が彼らと過ごした日々を忘れずに(忘れたことはありません)、ブログに書かせていただいています。

読んでくださりありがとうございます。

 

続きは、その2へ。